はじめまして。
ようこそ「縄文会計税理士事務所のブログ」へ
当ブログの紹介
始めにこのブログの開設の趣旨をお伝えしたいと思います。
当ブログは、公認会計士であり、税理士であり、ベンチャー企業の役員でもある私が、日々の業務、税務や経理業務に取り組む中、
実際に相談されたこと、自身がお仕事でつまづいたときの調べもの、部下の手が止まってしまったところetc・・・
をまとめたら結構役に立つんじゃないか?と思い、創設したブログです。
ところで・・・
どうして「縄文会計」なの?
事務所名が気になった方がいるかもしれないので、記させていただきます。
なぜ「縄文会計」なのか?
それは、
所長が「縄文」を好きだから!
単純です(笑)
(決して弥生会計に反抗するとか、そういった意思はございません)
では、なぜ縄文が好きなのか?
それはその生き様にあります。
魅力1:所有ではなく共有
彼らは所有という概念が薄く、また集落という概念はあっても、現代的な家族という縛りがなかったといわれています。
なんせ、一夫一婦制ですらなかったというではありませんか!
弥生が「閉じた系」ならば縄文は「開かれた系」
所有ではなく共有。
その共有は止まることを知らず現在ではタブーとされる、パートナーまで共有していたわけです。
文字通り枠に囚われない、交わりの精神は色とりどりの多様性を生んだに違いありません。
彼らの創る縄文土器の多様な文様のように。
そのくらい人と交われる社会ってどんな景色なのだろうと焦がれるのです。
魅力2:死が身近である
今より平均寿命が短い彼らは、現代よりも死が身近です。
また、どの集落にも必ず貝塚があったように自らによって消費された死も傍らにある生活なわけです。
死への畏敬の念、そこに込められた情念というのは、今とはまた違ったものだったと思うのです。
終わりが身近にある生活ってどんなだったと思います?
今、目の前にいる人は明日会えないかもしれない。
今日食べたイノシシのように明日には誰かのために燃え尽きてなくなるかもしれない。
そうして人と関われたら、人生観が変わると思いませんか?
生き様もとい、死に様が美しくなるように思うのです。
そういったところに憧れるが故に「縄文会計」と名乗らせていただきました。
要は、会計という仕事を通して、死ぬほど交わりたいわけです!
全身全霊で。
ちなみに「会計」も死んでいる
そしてまた「会計」という概念は結果の概念。
つまり、死んだものなのだと私は思っています。
しかし、それは生きた証でもあります。
「会計」という死んだものから、生きた証を類推し、生身のあなたと照らし、
その「死に様」と「生き様」とを合わせたときに、
どうしようもなく紛れもない事実が明るみになります。
私はあなたという事実と交わりたい。
そう願うからこその「縄文会計」なのでございます。
また私は、仕事は「人生をかけて付き合える人間としかやりたくない!!!」という強い信念をもっております。
やるからにはガッツリ全力でかかわりたい。
また、この情報化社会のスピードの中で多くの人と交わるのには限界があるとも感じております。すべての人と交わることも助けることもできないわけですからね。
ですので、基本的に一見さんはお断りしております。完全紹介制となっておりますので、ご了承いただきますようお願い申し上げます。
それでは、また記事でお会いしましょう!
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